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2018年10月17日 (水)

「主は、ダビデの行く先々で彼に勝利を与えられた」(第二サムエル8:6,14)

 ダビデ以前のパレスチナは、都市ごとにイスラエル人が住んでいたり、異邦人が住んでいたりした。ダビデは、パレスチナに住んでいる異邦人を征服し、全土をその支配下におくことに成功しつつあった。
 かつて神はヨシュアにパレスチナの全異邦人を征服するよう、命じられた。
 それはヨシュアの時代や士師時代の長きにわたって、完全には果たされなかった。
 しかし約四百年の歳月を経て、ようやくダビデの時代になって、それが果たされようとしていた。
 ダビデは行く先々で勝利を治めた。これは神より与えられた勝利であった。
「ダビデはシリヤの首都ダマスコに守備隊を置いた。シリヤ人はダビデに従い、貢物を納めるようになった。
 こうして主は、ダビデが行く所どこででも彼に勝利を与えられた」
(第二サムエル8:6現代訳聖書)
「彼はエドムに守備隊を置き、エドム人は皆ダビデに従うようになった。
 このように主はダビデの行く所どこででも、彼に勝利を与えられた」
(第二サムエル8:14現代訳聖書)
と二度にわたって記されている。
 これらの勝利はみな主から与えられたものだったから、ダビデは高慢になることができなかった。
 私たちの人生は戦いに満ちている。
 私たちは多くの苦難や、試練、困難と闘わなければならない。
 しかし勝利は主から来る。
 私たちの背後には、常に天の力があることを覚えよう。
 私ごとであるが、一生懸命(一所懸命)という言葉がある。
 文字通り、今いる所で懸命に頑張ることである。
 芸人の如く今、ここにいる自分を大切にすることである。
 過去(五分前も過去にあたる)にいた場所でもない、将来はどこに行くのだろうという不安でもない。
 
 ただ、今を大切にすることだろう。
 当たり前のようだが、人はどうしても過去にとらわれてしまう。
 しかし、過去があるから現在が存在するのである。
「あなたの神を愛せよ。あなた自身を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」(聖書)
 やはり、人は人の愛想につられ、自分の都合により判断するのだろうか?
 それは、時代が変わっても同じである。
 しかし、過去を振り返ると、なぜか礼拝をさぼって仕事をしても、うまくいかない。
 これは、偶然ではなく神が私を呼び寄せて下さっているとしか考えられない。
 
 私が大阪住吉教会に通い始めてから、再び通うようになるまで四十年間のブランクがあった。
 小学校六年から通い始めたので、すっかり大人以上になってからの四十年間の間、世間との少々の食い違いや迫害もあったが、リストラにもめげずずっと働いてきた。
 モーセは四十年間荒野をさまよったというが、私の四十年間のブランクは、大阪住吉教会に仕えるための四十年間なのだろうか?
 これは、神の恵みであり、食い違いや迫害も「世の中にはこういう人もいるが、認めるべきである」という神の采配なのだろうか?
 昔は、引きこもり、パニック障害という言葉すらも存在しなかった。
 また、そううつ病という言葉はあっても、うつ病という言葉は存在しなかった。
 
 今、私と関わる人は、すべて神からの使者だと思っている。
 神が私を通して、神の存在を知らせるべき人だと思っている。
 私はちょうど、キリスト教の看板を背負って生きているようなものである。
 
 ハレルヤ
(参考図書「月刊レムナント」2017年12月号 著 久保有政)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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